設計者プロフィール

弊社代表の一級建築士・髙橋貴大は新潟県で生まれ、父は建築士、母は建築士事務所で働いており、大工や建具屋の親戚と深く建築に関わり持っていました。幼少の頃より、プランニングの面白さに目覚め、最初の将来の夢は、建築士と云っていたとのことです。

新潟県長岡市小国町の里山の風景

学生時代は東京へ出て、フランク・ロイド・ライト研究室で知られている南迫哲也 工学院大学名誉教授に師事します。

この研究室には、アルヴァ・アアルト研究でも知られている武藤章 教授が退官する前に亡くなってしまい、その資料や学生、そして教えも全て引き継いでおりました。

この二人はフランク・ロイド・ライトに直接学んだ数少ない日本人弟子である天野太郎の弟子であり、共に設計活動を行った太郎研のメンバーでもあります。

工学院大学の新校舎で学んだ

その後、私はOMソーラーと出会い、開発者で建築家の奥村昭雄 東京藝術大学名誉教授の建築設計事務所に書生として、居候させていただきます。

奥村昭雄は、その妻で女流建築家の草分けといわれる奥村まことともに建築家の吉村順三と設計活動をしておりました。吉村順三はライトの弟子アントニン・レーモンドの元で設計をし、その後トップレベルの活躍をしております。

奥村昭雄は、東京藝術大で天野太朗と繋がりがあり、我が師である南迫哲也とも交流がありました。

奥村昭雄(スライド)
奥村まこと

この交流には、東京・目白のフランク・ロイド・ライト設計の自由学園明日館の保存活動が大きく関わっており、私も学生ながらこの活動に参加していたのです。

奥村昭雄の事務所で私は、日中は国際会議のインフォメーションセンターの設計の仕事を、夜は奥村夫妻のご自宅で晩酌のお供でハイレベルな建築談義と、どっぷり浸かりながら学びました。

自由学園明日館 夜景
自由学園明日館 ホール

さて、OMソーラーでは、規格住宅「フォルクスハウス」シリーズを担当し、開発とモデルハウスの設計をします。

この中でフォルクスハウスAを開発した建築家の秋山東一と出会います。秋山東一も実は太郎研出身者であり、太郎研の集まりに出席していた私とも繋がりがあったのでした。

師弟関係の相関図

私がまだ社会に出たばかりに設計したとある工務店のモデルハウスは、その年の地域建築賞(全国1位)の栄冠をいただき、有名工務店へと成長していきます。審査委員長は、住宅設計の名手の永田昌民でしたが、私がじっくりと手にかけた部分を面白いほど言い当てた評価に、大変嬉しく思いました。

その後、永田昌民とは本社社屋の設計で改めて関係が深くなり、折においてお話しする機会を得ました。永田昌民が学生時代に設計したという居酒屋で一緒にお酒を飲む機会や、旧自邸・新自邸にも招かれ、設計思想を受け継ぎました。

このような環境で、10年近くOMソーラーで設計と開発に没頭しました。
私が最後に取り組んだのが、国産材を使う規格住宅の「フォルクスK」です。

ライトがユーソニアンハウスをその地に合うように開発したように、国産集成材を使い、高気密高断熱と高耐久な構造躯体をシステム化し、意匠性を高めるために、真壁造と大壁造が自由に選択できるというものでした。

自宅ももちろんこのシステムを使って建てました。それを見た秋山東一曰く「若年寄」と。それほど、若くして熟練した設計をしていたと受け止めています。

設計メソッドというソフト面もサポートして、全国でこのシステム化住宅が販売され、インフィルシステムと共に売り上げに貢献しました。

システムK(自宅ガレージ部)
真壁・大壁の自由さが特徴

この成功の後、2005年に立ち上げた事務所が、いま私どもの人・建築設計所です。

街並みに馴染んだ丹精な邸宅やガレージハウスで知られるようになり、雑誌にも常連のように掲載されております。

テレビ取材の依頼もありますが、こちらは今のところお断りしておりますが、いずれはと考えております。

浜松市中区の邸宅
横浜市のホテルライクな家
浜松市東区の邸宅

人・建築設計所はまた、商業建築や文教施設などの設計で、積極的に木造を利用しています。

小学校や体育館など大きな施設でも木造化にいち早く取り組めたのも、システム住宅開発で多くの構造実験をしてきた経験からだと思っています。

そうした繋がりと経験が私どもの財産であり、強みといえます。

南ア子どもの村小学校 体育館
クリーニングのエブリ丸塚
川島モータース元浜

また、2020年には、エンツォ・フェラーリをデザインした日本人カーデザイナーで有名なKEN OKUYAMA(奥山清行)と繋がり、2年間ほどかけてKEN OKUYAMA DESIGN内に設計事務所の立ち上げを行いました。

大阪の地下鉄駅舎のリニューアル、新設の大学や専門学校の校舎、車やバイクのショールーム、オフィスビルなどの設計や、リゾート施設の再生計画のプロポーザルを行いました。

人材としては、国際的に有名な設計事務所のゲンズラー出身者を採用して、今注目の設計事務所になりました。

BRAND CENTER
仙台デザイン&テクノロジー校舎
東京情報デザイン専大校舎

デザインやマネージメント、プロポーザルなどを中心となって行っておりましたので、新たなつながりやチームを得ることができて、人・建築設計所は、国内でも唯一無二の設計事務所へと成長を遂げました。

人・建築設計所
長崎県西海市の西海大橋

また、規格住宅の開発では、新たにタイニーハウスを開発。このタイニーハウスでは、長崎県西海市にコンサルタントを依頼され、2年間ほどブランド化事業をサポートしています。タイニーハウス・デザイン・コンテストの審査員となり、西海市においての「これからのタイニーハウスとは」という視点で審査しました。

現在もプロジェクトとして、事務所、店舗、住宅、宿泊施設などの案件が全国で進んでおり、新築だけでなく、リノベーションにも力を入れています。また不動産入手に対しても情報収集やインスペクションを行い、お客様本意の「正直建築家」として対応しています。